またもや「渋谷Bunkamura ザ・ミュージアム」が魅力的な展覧会を催してくれた。 19世紀後半から20世紀半ばまでの主要ベルギー画家による美術展。 150点に及ぶ展示作品の全ては、姫路市立美術館の収蔵作品。姫路市はベルギーの シャルルロワと姉妹都市で、その関係で美術館にはおびただしい数のベルギー芸術 作品がコレクションされているそうだ。 後で気が付いたのであるが、展覧会で販売されていた図録は、姫路市立美術館が開 館25周年を記念して発行したものであった。Bunkamuraの図録は従来内容が非常 に充実していて、私にとって教科書的永久保存版であったが、本展の展示作品の三 分の一しか紹介されていない図録を紛らわしく販売していた姿勢には落胆した。 作品を貸し出すにあたっての姫路市からの条件であったのか…。 が、本展のHPをチェックしたら、「マグリットとデルヴォー 版画の世界」という 本展オリジナルの小冊子を400円で販売していた。 これから展覧会に行く方、私のためにこの小冊子を買ってきてくれないだろうか(笑)。
さて、「ベルギー幻想美術館」と銘打った本展は、全体がエロティシズムに満ちて いた。もっとはっきり言えば「淫乱」であった。 本展の開催概要ではこう言っている。 「19世紀後半から20世紀前半にかけてのベルギーは、本国の何十倍もある植民地か らの富が産業革命を加速させ、飛躍的な発展を遂げました。その恩恵は芸術の分野 にも及び、多くの優れた画家が輩出し、勢い付いたリベラルな若い実業家たちは新 しい芸術を支えました。」 つまり、若い金持ち達が「僕が金を出すから君たちは好きなように絵を描いてくれ たまえ」とパトロンぶった訳だ。 概要の続き。 「しかしながら皮肉にもその芸術の中身は、発展する近代社会における人間の疎外 を背景にしたものでした。ある芸術家は空想の世界に、あるいは黄昏の薄暗がりの 中に逃げ場を求め、またあるものは過去の世界に心の平安を見出しました。」 つまり、生活のために描きたくもない絵を描き続けてきた純真な画家たちは、描き たい絵で生活が出来るとなると一気に精神は開放され、外界への不安と内面の欲望 が入り混じった自己を中心とした挑戦的作品を生み出したのである。
本展では裸婦の描写が多く、一見「甘美な幻想世界」の展開と思いがちだが、実は 甘美を超えて「淫美」なのである。 例えばこの作品。 フェリシアン・ロップス 『スフィンクス』 1884年 エリオグラヴュール(写真製版)

スフィンクスに情欲的にすがる全裸の女。このスフィンクスには乳房がある。つま りはレズビアン願望の表れ。その様子を背広姿の悪魔が笑いながら眺めている。 神聖、欲望、邪悪が混在する実に退廃的な世界は、堕落を冷酷に賛美しているかの ようだ。
さらに衝撃的な作品。 レオン・フレデリック 『春の寓意』 1924〜25年 油彩

一見、聖母と子供達を天使が祝福している図のようであるが、聖母を描く場合は紺 色の着衣にすることの歴史的慣習を無視していることから、単に春という季節を宗 教画のスタイルを借りて表現しただけと言われている。そればかりか、本展の解説 によると「作家の幼児性愛趣味が表現されている」そうだ。これは冒涜などという 言葉も及ばない下劣な作品である。
このように、本展の作品の多くは異常性愛、猟奇、冒涜、幼児体験、夢想、精神不 安などを創作の根源としている。それらが如実に表れているのは小説や詩集の挿絵 で、当時は文学界においても「精神の開放」が炸裂していたことが分かる。 今回最も楽しみにしていた画家はポール・デルヴォーで、お馴染みの女体の群れを 描いた油彩よりも印象に残ったのが、クロード・スパークの『鏡の国』という小説 のための版画による挿絵であった。 どういう物語かというと・・・ 突然死んでしまった妻を夫は永遠にそばに置きたいがために剥製にしてしまう。 夫は美しい妻との生活に満足するが、やがて、老いてゆく自分と若いままの妻の姿 に狂乱し、最後は妻を切り刻んでしまう。 この狂おしいまでの猟奇的性愛の情景を、デルヴォーは実に淡々と描いている。 感動した。夫はマッドサイエンティストに妻の剥製化を依頼するのだが、その施術 の最中に庭の椅子に腰掛けて待つ夫の姿を描いたシーンが胸を打つ。さらに、剥製 となった妻を家の窓辺に座らせ、自分の葬列を眺めさせている絵が実に美しい。 私が前述の「マグリットとデルヴォー 版画の世界」を欲しい理由がお分かりにな るであろう。
ポール・デルヴォー 『二人のライバルたち』 1966年 リトグラフ

ポール・デルヴォーは、個人的にシュルレアリスムの作家の中ではサルバドール・ ダリに次いで好きな画家である。 デルヴォーは幼少期から母親の異常なまでの溺愛を受け、青年になっても「女は悪 魔、近づいてはいけません」という母の教えと抑え切れない欲情の狭間に苦しむ。 そうした感情のおもむくままにデルヴォーは官能的な裸婦を描き続けた。理想化さ れたデルヴォーの女たちは、とかく妖精や女神のようだと言われるが、私にはいわ ゆるダッチワイフにしか見えない。女を愛し女体を探求しながらも母親の精神的支 配から逃れられず、描く女には感情を与えられなかったのではないか。視点を変え ると、絵の女たちの凍りついた眼差しは母親を挑発しているようにも見える。 私の推測は、この一枚の大きな絵によって裏付けられた…。 ポール・デルヴォー 『海は近い』 1965年 油彩

デルヴォーは35歳の頃、見本市で機械仕掛けで動く裸の女の蝋人形に衝撃を受ける。 それ以来画風が変わり、あの女たちが登場するのである。 この絵の右脇に描かれたベッドに横たわる女は、まさにあの見世物蝋人形なのだが、 説明がないと分からないくらい画中の女の中では表情豊かに生き生きと描かれている。 つまり、デルヴォーにとって作り物の女こそヴィーナスなのである。
私はこの絵に危うく引き込まれそうになった。 作り物のヴィーナスのうっすらした微笑みと、僅かに覗くヘアに誘惑された。 もし入り込んだら、たちまち他の女たちに取り囲まれ二度と現実世界に戻れないで あろう。それはそれで幸せなのかも知れないが。 8年前に心臓発作で倒れた時の臨死体験を思い出し、絵の前を離れた…。
エロティシズムとは無縁の主要展示作品・・・ ルネ・マグリット 『マグリットの捨て子たち』Ⅺ 1968年 リトグラフ

マグリットの死の翌年に刊行された版画集の一枚。マグリットの絵は難しく解釈す る必要はない。子供の方が楽しめるであろう絵が多い。 マグリットのリトグラフは初めて観たが、色彩が驚く程美しく心地良かった。 質素な生活を心掛け、スーツ姿で絵を描いていたというマグリットの創作姿勢が、 観る者へ安定感を与えるのであろうか。
レオン・スピリアールト 『オステンドの灯台』 1908年 墨、色鉛筆、水彩

自らの病気、失恋、絵を認められない苦悩などを内面世界として表現した画家。 この絵は、てっきり潜水艦が浮上した光景かと思ったがそうではなく、画家の故郷 であるオステンドの海辺の堤防と灯台を描いたそうだ。 北海に面したリゾート地であるが、あえてシーズンオフの寂しい風景を無機質に描 き、自らの境遇を灯台で表しているのだろう。 なんとも自己中心的で不愉快な絵ではあるが、大胆な構図と色彩は独壇場である。
フェルナン・クノップス 『ブルージュにて 聖ヨハネ施療院』 1904年 鉛筆、木炭、パステル

寂れた街の静寂を水に映る建物で表現しているのだが、不安定な構図には狂気さえ 感じる。 風景画は空を描くことによって空間の広がりを表現するものであるが、この絵は逆 に閉鎖的空間によって内面への浸透を狙っている。 目立たない小品にクノップスの研ぎ澄まされた感性が凝縮されている。
アルフレッド・ステヴァンス 『オンフルールの浜辺の少女』 1891年 油彩

幻想とは、無いものがあるように見えることであるが、この絵は観る者にドラマ ティックな幻想を抱かせる作品である。 誰かを乗せて遠ざかる汽船を少女と犬が見つめているのであるが、よく見ると少女 の体の向きと視線の先は汽船とは別の方向にあるようにも思える。それとも振り向 いて帰ろうとする瞬間なのか。そう考えると、犬の存在が実に健気に感じられる。 個人的にはこういう絵に惹かれる。私の目指す方向も「ドラマ性のある絵画」なの である。
冒頭の開催概要で、「ベルギー幻想美術は国の経済発展の産物である」と解説して いたが、現代社会、特に我が国は不景気と言われながらも発展の恩恵を傘に欲望の ままに浪費と飽食を続け、風紀は乱れ切っている。 つまり、優れた芸術家、芸術作品が創出される環境は、かのベルギーと変わらない と言えるのではないだろうか。 では何故に我が国の芸術活動は枯渇しているのか。 芸術とは、知性と感性の探訪である。それは、創造者と受け入れる側ともに自らを 高めようとする向上心によって成り立つ。 文化というものが「娯楽」に飲み込まれた現状では、芸術は必要とされないのであ ろうか。 渋谷の街は相変わらず色と音と人が氾濫し、伝統文化の影も、ヨーロッパの街並の ような情緒のカケラも無かった。目にする光景の全てはテレビ番組のワンシーンの よう。全てが「娯楽」なのだ。 本展覧会のキャッチコピーに「実は貴女が一番観たかった展覧会なのかもしれない ・・・」とあった。主婦向けのメロドラマのサブタイトルのような何とも安っぽい コピーではないか。このような極上の芸術作品群を紹介する側ですら、芸術を娯楽 のひとつとして捉えているのだから救いようが無い・・・。
さて、文句はやめて今宵も絵を描くことにしよう。。。。 テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術
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